「お、来たな」
中では既に打ち合わせが始まっていた。
「は、春野サクラです。よろしくお願いします・・・」
「ん、あいてるとこ適当に座って」
当たり前だが、カカシ先生とは何度も任務をこなした事がある。
でも、アオバさんやライドウさんと組むのは、今回が初めてだった。
チラッと私を見る二人の視線には、何の感情も込められていない。
あはは、やっぱり・・・。
まあ、最初から期待なんてされてないよね。
一瞬の視線が針の筵のように感じ取れてしまうのは、きっと私の僻みなんだろう。
とにかく、足手纏いになって任務の邪魔にならないよう、それだけは気を付けなくちゃ・・・。
小さく肩を竦めて、メモを取る準備をした。
淡々とした様子で、カカシ先生が作戦を説明していく。
本当に何気なさそうに喋っているから、たいして難しくもない任務なんだと危うく勘違いしそうになってしまう。
・・・いや、カカシ先生にしたら、この程度の任務は難しいの範疇に入らないのかもしれない。
でも、聞き入るアオバさんとライドウさんは、反対にピリピリと張り詰めているのがよく分かった。
ああ、やっぱり凄く難しい任務なんだ・・・と二人の様子を見て思い直す。
先生の説明から任務の重みを汲み取れないなんて、本当にまだまだ修行が足りない。
あんなにたくさんの時間をカカシ先生と一緒に過ごしてきたのに、一体私は何をしてきたんだろう・・・。
あの頃はそれが当たり前で・・・、本当に当たり前過ぎて、先生の傍に居られるありがたみを全然理解していなかった。
いつでも私の意識はサスケくんに向いていて、カカシ先生は先生以上でも以下でもない、ただの先生に過ぎなかった。
なのに、まさか数年後、『ただの』先生に対してこんな気持ちになってるなんて・・・。
・・・ほんと、人の気持ちほど分からないものはない・・・。
あたかも他人事のように感じ入りながら、ぼんやりとカカシ先生の姿を目で追っていた。
僅かに伏せられた目元のまつげの影とか、綺麗に切り揃えられた爪の形とか、額当てに鈍く光る無数の傷跡とか、本当にどうでもいい事だけど、
でも、今まで気が付かずに見過ごしていた事が、やたらと目に飛び込んでくる。
そんな一つ一つの発見が妙に嬉しく、そして、とても切なくて堪らない。
こんなすぐ傍にいてくれるのに、決してこの手は届かない・・・。
サスケくんへ強引に想いを告げた時のような、あんな独り善がりの行動をとるには、私は少し大人になり過ぎた。
カカシ先生の世界と私の世界が交差する部分は、ほんの僅か。
私にとってそれが全てになり得たとしても、先生に同じ事は望めない。
だって、カカシ先生にすれば私はいつまでたってもかつての教え子で、ただの部下にしか過ぎないんだから・・・。
キリキリキリ・・・
胸が軋む。
ぼうっと意識が違う方向に向いてしまい、気が付いたら、カカシ先生の説明は終わっていた。
「・・・以上ね。何か質問ある?」
スッと僅かに二人が首を振る。
私は・・・、そもそもどう立ち回っていいのかさえ、よく分かっていなかった。
しまった・・・。
どうしよう、質問以前の問題だぁ・・・。
ちゃんと話を聞いていなかった私が一番悪い。
悪いんだけれども、でも問題はそれだけじゃなかった。
私以外の三人は、阿吽の呼吸で全て事が通じていた。
一々事細かく説明しなくても、暗黙の了解で話の大部分を理解し合っていた。
でも悲しいかな、私にはその力がない。
暗黙の了解部分が何かと考えあぐねているうちに、どんどん話は先に進んでいく。
そして一番困った事に、『すみません、今のはどういう意味ですか?』なんて初歩的な質問を出来る雰囲気では、決してなかった。
あああ・・・、困ったな・・・。
やっぱり、私じゃない人の方が良かったのかもしれない。
こんなので頭数に入れられて、本当に大丈夫なのか・・・。
任務に出る前から気が重たくなる。
冗談ではなく、本気で泣きたくなってきた。
「じゃ、二時間後に正門前へ集合。それまで各自入念に準備をしておくように。散っ!」
サッと二人の気配が消え去った。
私も慌てて後を追おうとすると、「あー、ちょい待ち。サクラ」と先生に引き止められた。
「はい・・・」
「悪かったな、突然に」
「いえ・・・。でもカカシ先生、どうして・・・」
「ん?」
「どうして、私なんか・・・。他にも手の空いてる先輩、ちゃんといるのに・・・」
「どうしてって・・・、そりゃサクラなら、ちゃんとやってくれそうだったから」
「・・・・・・」
「サクラだったら任せて安心だなって思ったからに決まってるでしょーが」
「今更何を聞いてんの?」とびっくりしたような目で見返されてしまった。
「でも、それって、とんでもなく買い被りなんじゃ・・・」
「そんな事ないさ。五代目からちゃんとお前の話聞いてるし」
「・・・・・・」
「先輩達にくっ付いて、いろいろ任務こなしてきたんだろ?なら大丈夫だ。たいして変わんないから」
「うぅぅー・・・、そんな簡単に言わないでよ・・・」
「大丈ー夫っ!オレの目に狂いはない。サクラなら絶対出来るって」
「でも・・・でもね、やっぱり・・・」
先生に期待されているのは凄く嬉しい。
凄く嬉しいけど。でも・・・。
期待とは違って、もしもがっかりされてしまったら・・・。
所詮お前はこの程度だったのかと激しく失望されてしまったら、この先私はどうすればいいんだ・・・。
やっぱり断ればよかった・・・と、夥しい後悔の念に襲われる。
綱手様はああ仰ってくれたけど・・・。
私にはまだ力なんてない。私には荷が重過ぎる。
他の人ならともかく、カカシ先生にだけはがっかりされたくない。
先生の足手纏いになって、冷たく突き放される恐怖は夢の中だけで十分だ――
「出来るよ」
不意に、耳元でカカシ先生の声がした。
いつの間にか、カカシ先生がほんの数センチ前に立っている。
静かに腕を広げられて、「えっ?」と思った時には、私はカカシ先生の腕の中にすっぽりと収まっていた。
「―――!」
ビクンと身体が強張って、咄嗟に先生の身体を押し退けようとした。
でも、先生は微動だにしない。静かに私を抱き締めたままだった。
「え・・・えええ・・・!?」
な、なんで先生がこんな間近にいるの・・・?
っていうか、カカシ先生一体何してるのよぉ・・・!?
状況が掴めず、頭がパニックを起こしそうになっている。
心臓は早鐘を打つどころか、鐘を叩き割って暴走状態だった。
完全に頭に血が昇り、ガンガンと激しい耳鳴まで起こリ出した。
もう、怒っていいのか笑っていいのか、さっぱり訳が分からなかった。
「ちょちょ・・・ちょっと・・・先生・・・!?」
「サクラなら大丈夫。絶対出来る」
やがて、完全に硬直してしまった私の背中を、トントンと優しく叩き始める。
トントン・・・トントン・・・
それはまるでむずかる幼子を宥め賺し、ゆったりと眠りにいざなうような、どこか懐かしいリズムと感触で、
なぜだろう、不意に涙が零れ落ちそうになり、思わずぎゅっと固く目を瞑った。
「や・・・待って・・・」
「・・・・・・」
トントン・・・トントン・・・
細かく震える背中を飽きもせずにずっと叩き続け、ただ静かに私が落ち着くのを待っているカカシ先生。
途中何度も、「サクラなら出来るさ」と繰り返し繰り返し囁いて、辛抱強く私の気持ちを静めようとしていた。
「大丈夫。サクラならきっと出来る。出来るから」
「・・・せ・・・んせ・・・」
「安心しろ、隊長はこのオレだぞ。オレが絶対にお前を守る。自分の大切な仲間に怪我一つさせやしない。だからそんなに緊張するなって」
何言ってんのよ、先生ったら・・・。
緊張するなって、こんな事されてそれは絶対に無理・・・。
密かに泣き笑いを浮かべて、そっと先生のベストにしがみ付く。
「出来る。出来るよ」
サクラなら本当に出来るよ――
呪文のように何度も何度も繰り返される魔法の言葉。
本当に・・・、本当に出来るかな・・・。
背中がほんのりと温まり、頭が少しぼうっとしてくる。
このままずっと・・・、ずっと先生の腕の中にいられたら良いのに・・・。
この一瞬を切り取って、永遠の檻の中に閉じ込められてしまっても構わない。
今、突然に私の世界が終息したって、何の後悔もしやしない・・・。
「だから、死ぬな」
突然、腕に力が籠もって、はっと夢から醒めたように現実に引き戻された。
緊迫感に満ちた先生の声に、思わずたじろぐ。
痛いくらいに肩を鷲掴みされ、戸惑うように先生の顔を見上げると、鋭く射るような険しい視線が私を待ち構えていた。
「・・・え・・・」
「隊長命令だ。絶対に死ぬなよ」
「カカシ・・・先生・・・?」
「どんな目にあっても、必ず生きてこの里に帰ってくるんだ。どんな手を使ってでも構わない。絶対に死ぬんじゃない。いいな」
「はい・・・」
「これ、預かっといて」
カチャリ・・・と首に何か掛けられた。
それは、カカシ先生が肌身離さず持ち歩いているシルバーメタルのタグプレート。
今まで身に付けていたんだろう、チェーンに仄かに温かみが残っていて、ずしりと金属の重みが身体に響いた。
「ま、お守り代わりにはなる」
「あ・・・ありがと」
「じゃ・・・、また後でな」
ニコッといつもの笑みを残して、カカシ先生も部屋から出ていく。
一人残された私は・・・。
まだまだ混乱の極みの真っ只中で、暫くその場を動く事が出来なかった。